ユジノサハリンスクにはまだ樺太が日本領だった頃の面影が残っている

ユジノサハリンスクはサハリン州の州都でサハリン島南部に位置しています。サハリン島は、第二次世界大戦までは樺太と呼ばれ、約40年間に渡って日本が統治していた時代があります。

ロシア語で「南サハリン」を意味するユジノサハリンスクも、かつては「豊原」と呼ばれていました。

そのユジノサハリンスクには街なかのいたるところに日本統治時代の面影が残っています。

鉄道、自動車、建築物はもちろん、スーパーで売られている商品にも日本のものが数多くあります。


ユジノサハリンスクに残る日本の痕跡

南サハリンを意味するユジノサハリンスクには至る所に我が国の痕跡が。陳列棚には見慣れた製品が並び、樺太庁博物館が街のシンボルに選ばれています。ロシア広しと言えども、日本の建築物が馴染んだ都市はココだけでは?露の広大さを、またその多文化っぷりを実感できます。飛ばずに日本海一周

言うまでもなく日本以上に存在感あるのは韓国です。スーパーにはハングル製品が溢れ、街に出れば通行人の何割かは朝鮮系。これも樺太時代の名残のひとつだ。写真はサハリン州郷土博物館に展示された日本統治下の結婚式。

日本人と異なり引き揚げできなかった朝鮮系の大半は、ソ連と共に生きる道を選ばざるを得なかった。やがて彼らはロシア社会に溶け込み、責任ある立場につく者も。写真は院長さん。

皆々様😇 この度ロシアは"ユジノサハリンスク"へ行ってまいりました。 極東地域における自動車最前線、そして日本での「最近あの車見なくなったなぁ〜」を探して... 複数回(不定期)に分けてレポートできればと思います。 よいこのじどうしゃ 異世界転生編 応援してくれる人

【サハリン①】サハリン(樺太)の州都ユジノサハリンスク(旧豊原)に来ている。日本時代に計画された町は碁盤の目状で札幌、旭川、帯広などに似たつくり。日本時代の建物はそれほど多くはなく、旧ソ連を感じさせるロシアの地方都市だ。続く

【サハリン②】9月2日の「第二次大戦終結の日」へ向けた準備が進む。「サハリンとクリルの解放を祝って」と書かれた横断幕も。ロシアとしては日露戦争で割譲させられたサハリン南部を40年後に「解放」したのだ。クリル(千島)は奪ったのだが。続く

【サハリン③止】戦後70年は8月で終わらない。サハリンには「戦後」がぎっしりと詰まっている。残留コリアン、残留日本人、先住民族ニブヒ、千島攻防戦に参加した元ソ連兵の老人、ウクライナ難民ーー。詳細は追って。写真はサハリンの食さまざま。了

ユジノサハリンスクのスーパーマーケットで大量に売られていた「お米」と書かれている謎のビール(ロシア製)。実際に買って飲んでみたけど、やたらと薄い味だった。ロシア人が日本風のビールをイメージして造るとこんな感じになるということだろうか。

ロシア、ユジノサハリンスクに到着しました。 近くのスーパーには、日本の物がいっぱい!! ブルドッグソースもあります!! chinadragon チャイナドラゴン

2000年9月 ユジノサハリンスク駅 見たことあるような無いような。もちろんみなさん良くご存知のキハ58です。北海道が好きすぎて稚内を突き抜けてサハリンまで行ってしまいました。日本ではもう無理ですが、ここでは線路上歩き放題でした。

2000年9月 ユジノサハリンスク駅 こちらは別の列車を横からパチリ。 K25形かな。日本名 キハ58584。

サハリン州立郷土博物館 ユジノサハリンスク サハリン。現在の郷土誌博物館は1937年日本領豊原であった当時、樺太庁博物館として建てられました。サハリンの自然、歴史、先住民に関する資料など 

ユジノサハリンスクのスーパーマーケット。日本の製品も数多く売られている

今日はユジノサハリンスクの街歩きで、残念だった博物館を含め、いくつか日本時代から残る建物も見てきました!こちらは旧豊原町役場で今はいくつかお店が入っているようです。日本でもそうですが、昔ながらの建物を再利用するのはイイ事ですね(^_-)

いまはユジノサハリンスクの鉄道車両展示場に眠る日本の中古ディーゼルカー、キハ58。1993年にJR東日本がサハリン鉄道局に無償譲渡した一両のようだ。「架線注意」のステッカーが今も。

ガイドのクルマでユジノサハリンスクを出発。いまドリンスクなんだけど巨大な工場の廃墟を通る。日本時代の王子製紙工場だ。大正12年8月には宮沢賢治もこの地を訪れている。

終点の2キロ地点停車場。日本製の気動車に乗ってユジノサハリンスクへ向かう。

ユジノサハリンスクの街並み

かつては日本の領土であり豊原と呼ばれていたユジノサハリンスク。日本時代を象徴するものはほとんどないが、こんな蔵を見つけた。

今日は久しぶりに空からきれいなユジノサハリンスクが見えました。戦前は日本の豊原だった手前の街は、碁盤の目のようでとても歩きやすい。山に見えるのはロシアでも有数(らしい)のスキーコース。昨シーズンは板やブーツを無料でレンタルしてました

先ほど、ユジノサハリンスク在住のサハリン在住韓国人一世のご夫婦のお家を訪ねました。久しぶりにキムチに舌鼓。「日本人だから」と、卓袱台を出して頂きました。感謝…

日本最北のコンビニはセイコーマート北豊原店なんだよなあ・・・

マジレスですが、ここは厳密には「セイコーマートの商品を扱うスーパー(営業時間8-23時)」なので、コンビニと言えるかどうかは審議。 ちなみにユジノサハリンスク市街地南部にセブンイレブン(24h営業)があるが、前者の方が北にあるのは確か。但し店内は未確認。ごく最近できたらしい。

ユジノサハリンスク~ポロナイスクの普通列車も素晴らしかった。3時間ほど海に沿って走る。これだけ海に沿って走る列車は他に知らない。

ユジノサハリンスクにも、ちょこちょこソ連時代のモニュメントが残っていたりする。

先ほど、ユジノサハリンスクの街並みもストリートビューで見られることに気付いたけど、そのテイストが実にツボ。走っている車は日本車なので、なんだか「パラレルワールドの日本」という感じがしてくる。 稚内からフェリーでも行けるんだよなぁ。

第二次世界大戦前と敗戦後のサハリンの様子

昭和11年(1936)樺太の町並みの写真です(『樺太写真帖』より)。1枚目から豊原(現ユジノサハリンスク)、敷香(ポロナイスク)、泊居(トマリ)、落合(ドリンスク)。当時は日本領でしたが、外地の雰囲気が写真から伺えます。昭和史千夜一夜物語 樺太

敗戦後の南樺太は一部とはいえ日本人(および大勢のコリアン=元日本人)が残り、「社会主義日本」に近い状況がリアルにあったはず。ユジノサハリンスクの博物館には当時の写真も。彼らのご馳走が、なんとか手に入ったカレー粉を使った薄い薄いカレーだったという話を聞いて、胸に迫るものがあった…

ユジノサハリンスクへの行き方

ユジノサハリンスクのホムトヴォ空港には、日本からは札幌の新千歳空港から週2便、成田空港からも週2便、直行便が運行しています。

直行便以外では仁川経由(韓国経由)、ウラジオストック経由が一般的のようです。

ホムトヴォ(ユジノサハリンスク)と成田を結ぶ路線を露「オーロラ」が今月2日より就航とのこと。ヤクーツクが運行停止と聞いていたから、サハリン観光には福音となるか。今夏、稚泊航路は運航するだろうかというのもあるけど。行くとは言ってない...

ざっと調べてみてみたところ、サハリン(樺太)のユジノサハリンスク行きは成田からと札幌から直行便が出てるみたい。 稚内からコルサコフへフェリーで行くという手も。日本人鳥屋が殆ど乗ったことなさそうな、半分は日本の海域の航路…(ゴクリ)

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また、8月~9月の間は稚内からユジノサハリンスク近郊のコルサコフ港の間をフェリーが運行しています。運行時間は約4時間です。料金は往復で3万円(青年割引で25歳までは2万円)。

コルサコフの港。ここからフェリーで稚内へ行ける。

稚内と大泊(コルサコフ)を結んだ稚泊航路や日露間のフェリー航路に関する展示がありました。

稚内〜コルサコフ航路のPENGUIN33を発見。ハートランドフェリーターミナルの隣岸壁 稚内

コルサコフ(大泊) フェリー乗り場あたり でございます 樺太 サハリン

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