大連は日本が統治した満州国の主要都市でした。そのため20世紀前半に欧風近代建築が建てられましたが、その設計者の多くは日本人です。
ほとんどの建物はいまも現役で使われているため、価値ある近代建築物として、観光名所にもなっています。
この記事では日本とゆかりある大連の近代建築を紹介します
大連の中山広場を取り囲む日本統治時代の近代建築群
大連の観光地として知られる中山広場の周辺には日本統治時代の近代建築群がズラリと揃っています。
現存する10棟のうち7棟が日本人建築家による設計で、20世紀前半の欧風建築が中心。中国内でも古い建築が残っている珍しいエリアとしてい知られています。
中山広場に現存している近代建築は以下の通りです。
旧 朝鮮銀行大連支店
旧 大連民政署(大連警察署)
旧 英国領事館
旧 大連ヤマトホテル
旧 大連市役所
旧 東洋拓殖大連支店
旧 中国銀行大連支店
大連人民文化クラブ
旧 横浜正金銀行大連支店
旧 関東逓信局
歴史の重みを感じる大連ヤマトホテル
ヤマトホテルは、かつて南満州鉄道株式会社が経営していた高級ホテルブランド。1907年から1945年まで満鉄線沿線の主要都市を中心にホテル網を展開していた。ヤマトホテル以外の直営ホテルと合わせて満鉄ホテルチェーンと総称された
2017年10月31日に大連賓館(大連ホテル、旧 大連ヤマトホテル)は最後の1日営業を行い、正式に休業に入りました。
今後、「古きを活かす」原則で風格を保持した修繕工事が行われ、2019年末には営業再開する見通しとのことです。
2005年に泊まった中国遼寧省・大連の旧大和ホテル。日本が満州の覇権を握った、大正3年に建てられた南満州鉄道の施設であります。重厚で内部装飾もゴージャス。日中の過去の歴史ということは別にすれば、本当に素晴らしい建築作品でしたね。
大連賓館(旧大連ヤマトホテル)完全閉店 満鉄直営1914年開業の現在の大連賓館は2017年末で宿泊営業を終了しましたが、その後も営業を続けていたホテル内の大和珈琲喫茶店もついに閉店したようです。すでにホテルは施錠され中に入ることができませんので近いうちに改修工事が始まるかもしれません。
旧大連市役所
玄関の唐破風など日本建築の意匠が取り入れられており、塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたとされる
100年近い歴史を持つ旧大連市役所庁舎。現在は銀行として使われている
旧 大連市役所 玄関の唐破風など日本建築の意匠が取り入れられており、塔屋のデザインは京都祇園祭の山車をイメージしたといわれます。 設計者の松室重光は関東都督府土木課の課長で、大連民政署を設計した前田松韻の後任にあたる人物です。松室は京都府技師時代に社寺建築の保存修復にも
旧横浜正金銀行大連支店
日本唯一の外国為替管理銀行だった横浜正金銀行の大連支店として建てられた、3連のバロックドームを持つタイル貼りの建物。基本設計は日本で妻木頼黄が行い、弟子にあたる満鉄技師の太田毅が妻木の図面を元に実質設計を行った
1945年より極東銀行(ソヴィエト連邦)が使用。現在は中国銀行遼寧省分行が置かれている
大連旧満鉄本社は有料で内部が見学できる
中山広場から歩いていける距離には南満洲鉄道株式会社、いわゆる満鉄の本社だった建物が残っています。
現在も中国鉄路局の大連支局として使用されています
正面から見て右の建物に旧総裁室があり、入場料70元(約1300円)で入館できます。大連の物価を考えると70元はやや高いのですが、日本人しか見学に来ないため来場者は少なく常時門は閉じられています。館内の天井装飾は非常に立派で一見の価値ありです。なお、館内は撮影禁止です
仕事メールもひと段落したので行動開始。大連中心部にある、旧・南満州鉄道本社(大連満鉄旧址陳列館)。まさかの予約制での見学(事前にtel必、日本語ok)。職員によると、こんなところを興味を持って見に来るのは日本人くらいなので常時開放はしていないとのこと😅 ねもぱい大連 満鉄 南満州鉄道
旧満鉄本社ビルの一角は大連満鉄蒐址陳列館っていう博物館になっている👀 前に来た時はボッロボロで壁が剥落しそうな状態だったけど、今はキレイに修復されました✌️ 見学希望の場合はこの電話番号に電話すると日本語で対応してくれる👍
大連満鉄陳列館への入場方法 建物右側の玄関が陳列館への入口です。 玄関には貼紙があり案内されている携帯番号に電話してください。 しばらく待っていると係員が来て玄関を開けてくれます。 旧満鉄本社ビルは遼寧省保護文化財に指定されており、大連鉄道管理局として現在も業務使用しています。
2007年(平成19年)9月 旧満鉄本社屋(現:瀋陽鉄道局大連鉄道事務所)内に現在も残る旧満鉄総裁室と会議室の復元と開放が実施され「大連満鉄旧跡陳列館」として見学可能になりました。 満鉄の初代総裁は台湾の民政長官として殖産興業による経済政策が評価されたことで起用された後藤新平です。